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なつかしのおカルト芸人ライブ特集ページ

【新ライブ】なつかしの おカルト芸人ライブ

2024年3月21日(木) 開演 午後7時 

場所 新宿Fu- 入場料2000円

誰に頼まれたわけでもないのに、あの「伝説の芸人」たちが帰って来た! 大通りではなく、裏通りの「芸人道」を30年以上突っ走って来た面々が、今、このままでは終われない! と立ちあがった!

出演 げんしじん へらちょんぺ GO!ヒロミ44' ギブ大久保 原田17歳

「おカルト芸人」とは何かといえば、いわゆる落語やシャベクリ漫才、テレビでよく見られるコントなどのような「正統派」のお笑いではなく、どこか「邪道」というか、「異端」というか、脇道に逸れちゃった匂いを感じさせる芸人のこと。売れてる芸人だと江頭2:50とかがそれにあたる。今回来てもらうのは30年以上、そうした芸風を貫いていて、しかも「売れている」状態にはない面々。「なつかしの」としたのは、だからその長いキャリアに敬意を評した意味合いもある。

 

という以上に、私が一方的に、そんな「おカルト芸人」さんたちに親近感を抱いているのだ。自分自身でいうなら、30年以上もせっせと本を作り続け、しかも内容はマイナーなものが多くて、ぜんぜん売れない。こんな現状は、いわば「出版界のおカルト芸人」みたいなもの。その裏にはまた、よく売れなかったのにやめなかったな、という気持ちもどこかにある。こんな、「みんな、ここまでよくやったよ」の気持ちを「おカルト芸人」さんたちと久しぶりに会って共感し合いたかったのだ。「ネタ」以上に、その一人一人の歩んできた「人生」を味わいたかったというか。

キャッチコピーは「誰に頼まれたわけでもないのに、あの「伝説の芸人」たちが帰って来た!」

 

出演芸人紹介

げんしじん  1969年生まれの54歳。1989年には、あの坂田利夫師匠に弟子入り。1995年には自ら代表となって「げんしじん事務所」を設立。今もライブ活動を続けている。「なんじゃそりゃそりゃワケ分からん、プルピンポン」で始まる不条理ギャグが特徴。

山中から一言「先日、ちょっと体を壊された噂を聞いていたので、会った際、「その後大丈夫てすか?」とたずねたら、「元気そのものです」との答え。200回以上続く、げんしじん事務所主催の『雑音フェティッシュ』というライブの会場には、若手芸人たちがあふれんばかりに集まっていた。」

へらちょんぺ  1964年生まれの59歳。 1990年代から2000年代にかけて『スーパーボキャブラ天国』や『エンタの神様』などにしばしば出演。「わずか一秒で着ているものを全部脱ぐネタ」や「頭からパンツをはくネタ」などが大好評だった。マジックのほか、最近は腹話術もやる。

山中から一言「先日、ほぼ20年ぶりくらいに会った時も、「もう今が最高に元気です」ととても前向き。ポスティングのバイトなどもしているものの、たとえギャラは「投げ銭」だけの営業で呼ばれても、しっかりウケを取って帰ってくるらしい」

GO!ヒロミ44’ 1968年生まれの55歳。1990年代前半にデビュー。「吉川晃司」「山口百恵」などコロコロと芸名を変えた末に「GO!ヒロミ44’」にたどりつく。覆面プロレスラーのような姿で下ネタ、芸能界の暴露話を歌で披露するほか、差別ネタ、宗教ネタで観客を唖然とさせたりもする。

山中から一言「かつて30年近く前、私が、浅井企画のお笑いライブのスタッフをやっていた時、彼をそのライブに出演させ、浅井企画の社長と専務から、「なんであんな下ネタ芸人を出すんだ!」とこっぴどく怒られたことがある。今となってはいい思い出だ」

ギブ大久保  1964年生まれの59歳。1989年にデビュー後は、ピンとしてだけでなくコンビ、トリオでも活動。ボクシングの内藤大助のモノマネや占いも手掛ける。2023年、『水曜日のダウンタウン』の「スベリ-1グランプリ」にも「ベテランなのにつまらない芸人」として登場。

山中から一言「ずっと前向きな人で、先日、久しぶりに会った時も、「ぼくはこのままでは終わりたくない」と前向きな発言に終始していた。まだ諦めていないところが清々しい。『水ダウ』出演で、ちょっと勢いが付いたのもあったのかもしれない」

原田17才  1972年生まれの51歳。デビューは1991年。「原田16才」の芸名で学ラン姿で登場し、バンカラな高校生キャラで一人コントを見せるスタイルをずっと貫いてきた。2008年からはWAHAHA本舗に所属して「原田17才」に改名。

山中から一言「先日、私のやっている『ちょっと昭和なヤングたち』というライブに出演いただいた時は、今はツアーの添乗員の仕事をやっているとかで、学ランネタではなく添乗員ネタを披露してくれた」

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